昔から自分は目に入る「数字」に流されてきた。
思えば小学生の頃から、自分が少数派の意見だと分かったらすぐに意見を多数派の方に変え、「逃げ」てきた。
昨今のニュースなどでも、「数字」を誇張表現として使用するメディアが幾多と存在する。
「数字」としてリアルタイムに見えるという性質上、SNS上での反応・反響の具合が常日頃から気になってしまう。
「数字」(反響)が低ければ「需要がない」「別に作らなくても(発言しなくても)よかった」などと思うことが常にある。
目に入る「数字」に一喜一憂する人生に嫌気が差す。
反応や反響が「数字」として見えると、「数字」が少ない際にどうしても「こんなに頑張ったのになんで自分は反応がもらえないんだ」「どうせ自分なんていなくてもいいんだ」とネガティブな方向へ思考が引っ張られてしまう。
そのような(一方的な)妬みには何も生産性は無い。それどころか、自己表現に対するシガラミとなる場合さえもある。
絵が上手い人や作文が上手い人に自分なんかが敵うはずもないのに、どうしても目に入る「数字」を見て不幸な連鎖に(勝手に)陥ってしまう。
ただの「数字」なのに、ただの2バイトの文字の羅列なのに。
そんなものに対して勝手に不幸な感情を持つ自分とは決別したい。
今の自分ができることを少しずつでもいいから、作品として出していったり、発言をしていったりしていきたい。
そして、自分が作品を出せるということをポジティブに考えていけるよう精進していきたい。
「数字」に流されることなく。